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恩師を訪ねて『恩師知新』Vol.2 -岡市先生-

かつて教壇に立たれた恩師を訪ね、当時の思い出や現在のご様子をお聞きする「恩師知新」。
第2回は、社会科教諭で現在は茨木神社で禰宜をされている岡市先生にお話をお伺いしました!

どうして関倉の先生に?

大学卒業後、大学院で日本史を研究していたんですが、その時教師になるか、日本史の研究者になるか、すごく迷っていたんですね。
博士の後期課程の時、大学の就職部にちょうど関西大倉の社会科教諭の求人票が貼ってあって。茨木の共学の進学校という自分にとってベストの環境だと知って、「あ、ここや!」と思って採用試験を受験したのがきっかけです。

あの求人がなければ、そのまま研究を続けていたか、他の高校で先生をしていたかもしれません。

本当にご縁があったとしか言いようがありませんね。

どうして社会科の先生という職業を選ばれたんですか?

小学生ぐらいからずっと日本史が好きで、日本史が好きっていう気持ちがやっぱり一番最初にあったからですね。

「日本史に関する職業って何があるかな」と考えて、その際に自分は誰かに教えることも好きなんだって分かったので、中学・高校の教師になろうと思いました。

あとは家が神社という環境から、小さい頃から父や祖父の影響を受けていたのも大きいなと思います。やっぱり家が神社なので、神社や神話などにすごい興味があったのと、学生の頃からお正月とか父や祖父のお手伝いをしていました。

なので、日本史の授業の中でも神話が出てくる奈良時代や神武景気などの高度経済成長期は結構楽しかったですね。

ただ、中学から大学まで通っていた同志社はキリスト教にゆかりのある学校ですので、そういう意味では神社に偏らずすごく幅広い知識を持ててよかったかもしれませんね。

教員時代、印象に残っているエピソードはありますか?

関倉に来て初めて担任をしたのが高校2年生だったんですが、初めて担任したクラスは男子クラスだったんですがすごくパワフルなクラスで、体育祭の時に皆に勢いよく胴上げされたんです(笑)

それが1年目の出来事ということもあり、とても印象に残っています。

その時のクラスにいた生徒が今まさに関倉で働いている情報科の有積先生です。また、国語科の重松先生も教え子でして、先生になった卒業生と再会できたのは本当に嬉しかったです。

少し見ていただきたいものがあるのですが……

これは懐かしい!
「ibajin Tシャツ」*1 は当時クラスにいた生徒が描いてくれたものだけど、本当にデザインが秀逸でしたね。

――岡市先生にしかフィーチャーしてないクラスTシャツなのが面白くて、ずっと手元に残しています。

「MASAMICHI」だけって本当に申し訳ないなぁ(笑)
僕も自宅に置いているけど、卒業してからもこのTシャツだけはずっと残してくれてるという話を聞けて嬉しいです。

*1:2012年度に担任された3年9組が体育祭で着用したクラスTシャツ。

神社で働くってどのような感じですか?

父は宮司で、長男の僕は「禰宜」(ねぎ)っていう、学校で言ったら教頭先生みたいな役割をしています。

想像しやすいのは、赤ちゃんが生まれたらするお宮参りや七五三のご祈祷をしたり、お家などを建てる時にする地鎮祭という出張のご祈祷をしたり、その他には結婚式やお葬式の対応ですね。

他にも、神社内の掃除や職員のシフトを組んだりといった日常の庶務のような仕事から、夏祭の準備、そして秋になってきたら初詣の準備を始めるというように季節ごとの仕事もあります。

なかでも1番忙しいのはやっぱりお正月です。
関倉で教師をしていたころからずっとお正月は神社を手伝っていました。
一般的には先生方も2学期の成績処理が終わったら冬休みなのですが、私は冬休みが来るよりも神社のお正月!という感じでした。

あと、実は神社で働いていても人に教えるという仕事は結構あります。例えば地元の小学校から地域の歴史を教えてください、お話してくださいとご依頼いただいたり、中学生が職業体験に来たりとか。それにはすごく関倉での教師経験が役立ってますね。

教えるという関係では、神職を養成する学校で講師もしています。それもすごく楽しいですね。

卒業生の皆さんに一言お願いします!

いつでも茨木神社に来てね!

突然恩師のお家に行ってピンポーンって、いきなりインターホンを押すのは結構ハードルが高いと思います。

それに対して僕の場合は茨木神社に来てくだされば会えますので、ぜひ来てください。
本当に大歓迎です!
皆さんの顔が見られるのを楽しみにしています。

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